益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

書画一体
わが道に示唆 書は余技ならず(1)

画道一すじに生きて来た私には、世に言う「余技」なるものはない。魚釣り、碁・将棋、登山やゴルフ等のたぐいも、人それぞれの快適な楽しみとして察知はできるが、私にとってはみな少年期の思い出の中にのみ生きている。事実、一分一秒を惜しんで絵を描く私にとっては、到底余暇はなかった。

しかし書道は別である。多忙な画生活の寸暇を割いて書の道に励む楽しさは、書画一体、断じて余技などと言えるものではない。現在私は新書人連合会に会員として名を連ね、一九八一年入会以来年々その連合展並びに有志展(燦_展等)に出品を続けている。その経緯についていささか述べたいと思う。

そもそもそのきっかけは、今から五十余年以前にさかのぼる。一九三四年夏、私が画家として再出発し、高知市で画生活に励んでいた時のことだ。暑い夏の日だった。炎天で伊野町・日本紙業KKの構内で紙業の風景を描いている時、いつも通りかかって帽子を脱いでじっと私の絵を見ており、終わるとまた帽子をかぶり、丁寧に会釈をして去る青年がいた。そのまじめで好意的な態度に心ひかれ、社員の福富氏にきくと、書家の山崎祥堂氏だと言う。私はちょうど書を習いたいと思っていたところだったので、福富氏を通じて書を教えて欲しいと頼んだ。氏に、手本を買って来るように言われ、鄭道昭の鄭父君碑銘を買って来た。氏に「これが分かるかね?」と言われ「分からなければ買って来ません」と生意気を言ったものだ。これが機会で山崎祥堂氏の書と人格に触れ、その卓抜なる識見と真摯(し)な態度に感服し、地方の書道家として埋没させるには惜しいと、中央書壇に進出を勧めたものだ。現在氏は、日展審査員(山崎大抱氏)として大成し活躍されている。