益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

疎開―戦禍を逃れて
画材豊かな室生の里 記念作も(1)

戦渦を逃れ、思いもかけぬ縁故で、大自然に包まれた室生に疎開できたことは幸いだった。ここは空襲もなければ灯火管制もない。澄み切った青空を銀翼を並べて飛んでゆくB29を、きれいだなあと仰ぎ見た。しかも寺には国宝級の堂塔伽藍(がらん)が点在し、他所ではなかなか見ることのできない立派な仏像を常時間近に見ることのできる、得難い環境だった。

私たちに疎開を勧めてくれた奥本幸一郎氏はなかなかの文化人で、絵もよく理解され、この辺境には珍しい、豊富な話題の持ち主だった。郵便局長の令兄・松平一雄氏をも紹介されたが、氏もまた非常な文化人で、書、画、俳句などをよく理解・感得され、また立派な書画・骨とうのコレクションがあり、戦時下に思いがけない鑑賞ができてありがたかった。室生寺管長・良仙師も学識高い高僧で、豊かな人生観・芸術観には実に教えられること多く、私は戦時中であることも、疎開人である己をも忘れて、これらの人々と談じ合うことの多い、むしろ楽しい日々だった。加えて画材は豊富である。国宝となって鎮座まします金堂・五重塔・灌頂堂など、異人館とはまた違った美しさにあふれ、絵心をそそるに十分だった。私は戦時中だということを忘れてこれらを描きつづけた。

室生の冬は早い。十二月になると雪で一面覆われる。私は白金カイロを入れて雪中で幾日も描きつづけ、村の人たちを驚ろかせた。この当時描いた室生寺金堂「寂光」「静光」は第七回新制作展に出品、後、三井コレクションに入る。「室生寺護摩堂」は第八回新制作展に出品。第九回新制作展に「雪の五重の塔」出品。いずれも私の記念すべき作品である。

疎開生活の中では、山中を、写生のため一人歩きをしてスパイと間違えられたり、寺の好意で手に入れた米を駐在の巡査に取り上げられたり、不愉快な思い出も無くはなかったが、総じて村の人たちは親切で、子供たちもすっかり村の子たちと仲よしになり、ありがたかった。とりわけ奥本幸一郎氏は、私が十三夜から十八夜まで夜景の写生に出る時など、必ず同行して私の身の安全を守ってくれた。この友情のありがたさは今なお忘れられない。