生命活動が燃え尽きるまで
2002年5月9日、父・小松益喜は97年6ヶ月の生涯をとじた。
父が亡くなり、時が経つにしたがって、その絵の魅力を感じるようになった。精密に描写した建物の一筆一筆への真剣な態度、自分の表現したいものを実現させるための技術的な努力、人の人生や生への営みに対する愛情のようなものをそこから感じるときもある。
阪神大震災でアトリエが半壊し、当時90歳の父と89歳の母・登喜(とき)が、二人暮らしの神戸に別れを告げて、東京のわが家にやってきたのは、父が一応社会的な活動に“引退”を表明した直後のことだった。
東京で父と暮らした間、老いたりとはいえ、父の教養の深さ、人としてまっとうな生き様を改めて知り、もっと父のことを知り、学びたいと思いながら、多くのことができないまま終わってしまった。
人は誰もいつか生きることを終える。急逝を除けば、人は肉体と思考の衰えの延長線上で生命活動を止める。父もそうして亡くなった。
身体が衰え、傍目からは意識もはっきりしないように見える父が、ベッドから天井を見つめ、「その構図は少し変えたほうが良いなー」「そこはもっと赤を強調して」「これはなかなかうまく描けたぞ」とか口にするのである。生命活動の火が燃え尽きるまで、父の頭の中では絵を描く現場にいて、新しい発見をしながら、絵を描きつづけていたのだろうか。