一途の人
父は、自分のやりたいことに集中するという点では、すさまじいまでの一途さがあった。世間の人は「あれだから絵が描ける」とよく言う。そういわれることに、いろいろ犠牲を強いられてきた家族として、若いころには反発心もあったが、いまは、それも当たっているとすなおにうけいれている。父本人にとっては、わきあがってくる意欲に突き動かされて、絵を制作しつづけたのだ。
一つ一つの作品には、その人生の局面、絵を描くこと自身の発展過程の反映がある。私は父の歩んだ人生についても、父が描いた絵の歴史も少ししか知らないが、その作品から伝わってくるあたたかさを少し感じ取れる自分になってきたことを嬉しく思う。
東京での父・小松益喜の晩年の生活の多くを支えたのは、私の妻、小松香代子だった。歩行が困難となった父は、車椅子にのって、香代子に押してもらって、絵を描きに出たいといつも誘っていた。香代子も多くの時間を、絵を描く益喜とともに過ごした。そこでの会話、そこでの出来事を聞くことで私は、父の多くのことを知った。この一文の少なくない部分は、香代子との会話の中で知り得たことをベースにしたものである。