よいものは良い、悪いものは悪い
父は、絵の技術を隠さなかった。ものすごく努力する人で、現場で絵を描いて、何かテーマを意識すると、家に帰ってからもキャンバスを前に工夫する。そんな時はほとんど眠らないで没頭することも少なくなかった。夜が明けかけると飛び出して現場にいって確かめる。
父が91歳の時の“書”についての「メモ」が残っていた。「今日、墨にインチゴの藍色を合わせることによって墨の色が質的に良くなり、美しくなることがわかった。これはすごい発見だ」と記している。メモには、墨とインチゴの割合を少しずつ変え、その藍墨の色合いを、順番に並べてある。あくことなく工夫していたのだ。
若い頃から、そうやって、会得したたくさんの表現の技術だが、そういうものを、“自分だけの技”として隠すことをしなかった。友人から「そんなこと言ってしまって良いのですか」と言われているのを何度も耳にした。父は正直で、人を出し抜くという気持ちがまったくない。人と人が会話して、良い絵を描く上で役に立てばそれでいいと思っていたのだろうか。
よいものは良い、悪いものは悪いと単刀直入にいう。良い悪いとは善悪という意味だけでなく、“できの良し悪し”ということについても自分の評価をもってはっきりものをいう。
良い絵を描きたいという動機以外に、他人と競争することは考えなかった。だから、優れた絵を描く人に対しては率直にそれを認め、心から尊敬したし、良いものでなければ相手がどのような人であろうと率直に自分の評価を口にした。そこには、他意というか、計算とかいうものがない。そして父の述べる“評価”のなかに、ものを見る透徹力を感じさせることが多かったと私は思っている。