小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

小松益喜さんを存じ上げてから、早40数年が経った。こちらの方にガタが来始めているのに、ただいま93歳の小松さんが依然元気でいて下さるということは本当にうれしい。40数年間しょっちゅうお会いしていた訳ではないけれど、機会ある毎に作品を拝見、話をお聞きするにつれ小松さんの人柄が次第に分ってきた。そしてつくづく感心させられたことだ。

一言ではいえないながらあえて表明すれば、小松さんはまことに“一途の人”である。その生き方に於て、絵画の制作に於て。

小松さんの性格は明るく開放的でザックバラン。身体は小柄だが、話す声は非常に大きい。これは少年時代から打ち込んだ剣道の影響かも知れぬ。そのもの言いは単刀直人。多少はばかった方がいいのではないかと思われるようなことでもズバリという。 (全く悪意がないから、周囲や当の相手も少々苦笑するぐらいで根に持つことはない。)子供とて容赦なし。

これは作家・陳舜臣氏から聞いた話。

――陳さんは幼少時、弟さんと2人で小松画塾へ絵を習いに通った。絵を描くのは楽しいのだが、2人そろって先生へあいさつすると「いつも恥ずかしくて仕様がなかった」。それは毎回小松さんのあの大声による返答で。

「やあチンチン(陳、陳)来たか!」。
その陳さんが、後年「小松益喜展」へ寄せた紹介文に、次のような 一節がある。

北野町に住んでいたころ、イーゼルと絵具箱をかついで、小走りに歩く小松さんに、路上でよく出会った。「忙しそうですね?」「そうです。急がねば風情のある家がなくなりますからね」――そんなやりとりがあったと記憶する。
経済成長期で、異人館ばかりではなく、古い家がつぎつぎとこわされ、新しいビルが建ちはじめたころである。

はじめ私は小松さんの美意識が彼を走らせているのだろうとおもった。だが、それだけではないような気がしだした。美意識以外のなにが彼を走らせるのか? 小松益喜――の絵をみるたびにそれを考える。いまだに解答が出ないが、おそらくそれは人間が生きて行くうえで、大切なものであり、イノチと直結しているなにかであろうとおもう。建物が描かれているが、そこからイノチのにおいが漂ってくるのである。

画家・小松益喜のひたむきな姿勢と、その作品ににじむ味わいがさり気なく的確に描写されている。小松さんは「目下東京在住(平成6年から)だが、神戸では“異人館の画家”として知られた人だった。山手北野町あたりでイーゼルを立てキャンバスに筆を走らせている画家を見かけた人は多かったろう。
ところで異人館とは? その研究でくわしい坂本勝比古氏(神戸芸術工科大学教授)によると「幕末から明治初頭にかけて開港した横浜、長崎、神戸などに生まれた開港場居留地建築」――それも「外国人が自らの住まいや商館として建てたもの」に限りそう呼ぶそうだ。