益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

話の要旨は次のようなものであった。

(1)まず著名な絵を1つでいいからしっかりと自分の頭へ入れよう。そうすれば次の絵、その次の絵と比較することができる。

(2)そうなると今度はいい絵といわれるものを多く観るようにする。それも出来ればナマの絵を。

(3)そして画家が感激して描いたか否か、理屈よりも絵そのものに感激があるかどうかを読みとること。

(4)やがて自分でも絵を描くことを楽しめるようになれば鑑賞眼もひとりでに出来てくる。

(5)最後に絵を描く人も絵を観る人も書物をたくさん読むべきである。

一般の人にも理解し易く示唆に富む内容だった。そしてこれはそのまま画家・小松益喜の制作信条に通ずるものだったろう。日本の洋画界はこの2〜3年後から、欧米の潮流をもろに受け抽象画全盛の時代へ突入する。その善し悪しは別に、大家を含めて大勢の美術家が具象から抽象へ移行して行ったが、小松さんは頑固に具象画、それも建物のモチーフ就中異人館の世界を変えなかった。単に意地といったものだけではなかったと思う。文句なしに“ほれ込んだ”のだったろう。そして如何にも神戸にふさわしい作品をつくり続けた。この一途さはもう立派な1つの“美”である。


冒頭、小松さんは今もお元気と申し上げた。ただしお歳の故で足の方が少し弱られ、屋内では普段通りだが外出には車椅子を利用されている。既述のように目下は夫妻で東京の次男伸哉氏宅に同居中。

気が向けばかつての自転車に代わる車椅子で、伸哉氏夫人・香代子さんの介添えの許、あちこちを写生して回っておられる。
異人館に代わる“建物”の新しい題材は見つかったのであろうか。

ご夫妻ともに、いつまでもご健在でありますよう。


(1998年1月6日 記)

※ 1995年の阪神大震災後、小松益喜は神戸のアトリエにあって震災で破壊されなかった作品のすべてを神戸市に寄贈した。それをうけ神戸市立小磯記念美術館が1998年2月から4月にかけて「特別展 受贈記念 小松益喜展」を催し、図録を作成した。

本文はその図録に寄せられた、美術評論家・伊藤誠氏の文で、図録の巻頭に掲載されています。