異人館の美しさ
古くなった異人館を塗り替えるにあたって、どんな色にするかを、住人が近隣の人と相談しあって決めたという父の話をむかし聞いた。そのとき、「日本では考えられない。これは文化の違いだ」と思った。
“異人館”に住む人々は、自分の家の美しさが街の景観の一翼を担っているという誇りがあるのだろう。父がこだわった異人館の出窓や鎧窓は、暮らしの中から生みだされた建築美であり、そして街の景観を演出する。
ヨーロッパには、庭のない家も出窓やバルコニーに花を植え、洗濯物はおもてに干さない、という国や地域が多くある。みんなで作り出す街づくりという考えがあたりまえになっているのだろう。個人主義の発達した国々であるが、歴史を経て成熟した個人主義が街の美観を創っているという面もあるのではないだろうか。
父、小松益喜は生活の場である異人館が作り出した街並みの“美”を感じ取り、その美しさに感動し、制作意欲をかきたてられたのではないだろうか。父の作品のなかには異人館の街並みとともに、特定の異人館、あるいはその一部分というものも少なくない。徹底してリアルに、深く見つめることで “個性がありかつ美しい街づくりの一部となる建物”としての異人館の“美”と詩情を引き出し、映し出したのではないだろうか。
日本では“街づくり”を“開発”と同義語に扱ったり、道路や「箱物」といわれる施設作りになってしまって、住民が参加できないやり方で、いわば“お上”主導でやってきた面が多い。個々の建築物では日本のすばらしい建築美があるが、そこに住む住民自身が街の美観を作り出すということはやりたくてもできない政治・行政のしくみがあり、個人主義の成熟度の違いもあるようにも思える。
さらに、昨今では建築物も大手企業主導の大量生産が基軸になって、窓枠サッシをはじめパックやユニットになり、古くなれば丸ごと入れ替えてしまえという大量生産、大量消費の建築方式の流れのなかで、個人が生活の場で個性ある美意識を生かせる建築美を追求することや、それを土台に住民による美しい街づくりをすすめるということはいよいよ難しくなった。
異人館を描き続けた父の作品は、将来にわたって、美の財産としての価値も持つのではないかと思う。
芥川賞作家・米谷ふみ子の著書「サンデードライブ・余震」(集英社)のなかで
「あの北野町のあたりは……、前に行った時はひどく観光化されて、人がぞろぞろ歩いていたけど。小松益喜さんが描いてはったような、あのひっそりとした、西洋館の家並みの感じは無くなりましたねえ」(p77)
という会話があるが、父の美意識が、日本の街づくりの美意識として生かされる日がいつかあることを信じたい。