父の“記憶力”
あることについて優れた記憶力を持つ人も、別のことでは全く物忘れが激しいということはしばしばあるが、父のそれは極端だった。
日常生活、社会生活全般にわたって実に物忘れがひどく、多くの人が被害をこうむった。カルチャーセンターの講師をひきうけたときも、しばしば忘れるものだから、担当者の方はいつもやきもきして電話をかけてこられた。
一緒に暮らしていると、「ここに置いてあった本をどこにもっていった?」と、いきなり犯人扱いされることがある。「知らない」と言っても「ここに本を置いた」「その本がない」「ここにいたのは君だけだ」「君が知らないはずがない」「頼むから返してくれ」というような“論法”で迫力ある追及をしてくる。だが、いつも父は別のところに本を置き忘れているのである。
しかし、別のことでは、その“記憶力”に驚かされることも少なくなかった。
風景画を描くときには、考えられないような“記憶力”だった。父と一緒に小旅行をしたときのことである。小さな駅に停まった汽車の窓からは、小さな町が一望でき、100軒ばかりの家が軒を連ねていた。父は黙ってそれを眺めており、話しかけても返事をしない。数分して汽車は走り出した。すると、スケッチブックに、すごい勢いで鉛筆を走らせはじめた。先ほどの停車中に見ていた町並みの風景を一気に描いていくのだった。
父はデッサンを描くとき、全体の構図を書いて順次詳しく描くというような描き方をしなかった。ある一点からいきなり精密に書き始めていく。
あるとき私が「描き始める一点をどのようにして選ぶのですか?」と聞いたことがある。「その絵の構図のかなめになっているところから描いていくんだ」「かなめはどうしたらわかるのですか?」「君にわからなくても、僕にはそれが見えるんだ」というような会話をしたことがある。
汽車の中の絵もそのように描かれていった。私は、こんなに多くの家を一つずつ描いていって、最後に線が結びつくのだろうか?と思いながら見ていた。絵は二十分くらいでできたと思う。スケッチブックにはすべての家と風景が連なり、小さな町の風情が描かれていた。
父の頭の中では、風景が画像として貼りついていたのだろうか? 現場に行くたびに新しい発見があるといつも口にしていた父には、その新しい発見がどのように記憶されていくのだろうか?……ずっと後になって、そうした思いもしたのだが、そのことを詳しく会話する機会はないままに終わってしまった。