益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父、小松益喜を想う

絵の“品”と教養

「才能は大事だが、絵というものはそれだけで描けるものではない。表現する技術を会得するにはそれだけの努力がいる。」「絵には“品”がなければならない。品があってこそ技術が生きるんだ。」……そういうことばを父から聞いたことがある。

「品」ということばの中身は残念ながら私には良くわからない。それは、人としての教養が生み出し、絵を見る側の教養によって感じ取られるものかもしれない。

たしかに、父の絵は、徹底した写実であるが、作品には風情というか、温かみというか、生活のにおいというか、そういう深さがあるように感じる。それが「品」ということなのか、その理解のためには私自身の深まりが求められるのかもしれない。

父は、多くの画集や、万葉集などの古典文学について、実に生き生きと具体的に内容を述べた。漢文もよく理解できたし、芥子園画伝(かいしえん がでん)など漢文の中国美術書も、当時の10冊本を手に入れ読みつづけたが、「あれだけのものを読みこなす漢文の読解力をいつ養ったのかわからない」と登喜が語るほど熟読し研究していた。

絵を描くことに集中して、家族のことをあまり省みなかった父であるが、唯一登喜のために多くの時間をとった“南フランス1週間の旅”で、登喜を案内してまわったことがある。「フランスの歴史や美術館、個々の作品について非常に詳しく説明を受けて最高の旅だった。どこであれだけの勉強したのかと驚くほどだった。」と登喜は回想していた。陶磁器や骨董品についても詳しかったし、近代の小説も多く読みこんでいた。

益喜の“知識“は“記憶”というより、自分に取り込んでいるという感じであったが、総じて、人類が築いてきた“文化的な遺産“の多くについて、広く深い“教養”を感じる言葉は少なくなかった。それは、社会生活での無頓着な人とはまったく別人のようにも思え、その乖離が一体になっているところに父のすごさと親しみを感じてきた。

趣味というものを持たない父であったが、読書の一部に、“山本周五郎の剣豪小説”があった。単行本の棚にずらりと手垢のついた周五郎の本が並んでいた。ある時、私が別の時代小説作家を誉めたときに、父は「しかし、同じ江戸下町の人と人情を描いても、周五郎の文章には“品”がある。……」と評した。それまでの私には文章を評価するのに“品”ということばがなかったものだから、父のことばに驚いたことを覚えている。

2005年2月 小松伸哉
生命活動が燃え尽きるまで
人を分けへだてしない
よいものは良い、悪いものは悪い
父の“ 記憶力 ”
絵の“品”と教養
異人館の美しさ
日本脳炎とPTSD
父の人生が今の時代にといかけるもの
やはり、人としての道を
父への助言者
登喜の意欲を引き出したもの
一途の人