益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

画家への再出発
あなたはやっぱり絵かき…と妻(1)

一切の自由を奪われ、社会から遮断された一ヵ年近くの未決生活から、野市の父母の家へ帰った時、私は、私の周辺の事情の大きな変化を凝視(みつ)めざるをえなかった。左翼運動弾圧の手はいよいよきびしく、共に活動した仲間はちりぢりばらばら。連絡のとりようもなかった。とりわけ、共産党中央幹部・佐野挙、鍋山貞親の転向を知ったショックは大きかった。しかも私の留守中に妻は出産。私は一児の父となっていたのである。何としてでも新しい生活へ踏み出さねばならないと、私は心に誓った。しかしこれからの生活を考えると絵を描く以外に私のできることはなかった。「あなたはやっぱり絵かきだったのね」と、先年病気回復のとき言われた妻の言葉がまざまざとよみがえった。

しかし、無一文で新しい生活への出発は何ができるか。絵を描くことによって生活費を得るということは、無名画家にとって至難の業だった。たまたま、郷土出身の先輩、帝展作家の橋田庫次氏が個展のため帰高され、その持ち家に留守居を兼ねて一緒に暮らすことになり、親子三人、野市から高知へ出て来ることになった。橋田氏はプロの画家として、いわゆる絵を売って生活するなかなかの苦労人で、これから画家としての生活に踏み出してゆこうとする私たちに、いろいろの助言・援助をしてくれた。好人物で、酒もよく飲む。絵を売るコツもうまい。共に暮らした約一カ月間、随分いろんなことを教えられた。

無一文でこれからどうやって生活しようかと思案している私にとって、ありがたかった。今から思えば当然すぎる話だったが、絵を売っていくという生活の知恵が、何と新鮮に聞こえたことか。それは私が世渡りについていかに無知だったかを証明することだった。