益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

小学生のころ
町内きっての“わりことし” (2)

ある時はまた掛水山の栗の木をお百姓さんが作っている栗山と知らず、木に登ってざあざあとゆさぶり栗の実を落としていると、山主のお百姓さんが飛んで来てつかまってしまい、帯を解かれて栗の木にくくられてしまった。夕方は迫り、次第に辺りは暗くなり、山から異様なけだものの鳴き声が聞こえて来て怖くてたまらないが、呼べど叫べど人影は見えず、腹は減ってくるし、結局、両腕を縛っている帯をつめでひき裂いて、やっと家に逃げ帰ったことだったが、あの時の心細さはいまだに忘れることのできない懐かしい思い出である。思えばすることなすこと、天地万物わが物の自然児だった。

しかし一方、寒中毎朝四時に起きて、家から武徳殿まで五キロメートルのまっ暗い道を歩き、剣道寒げいこに励んだことも、私の少年時代の生活の一特徴である。範士の川崎善三郎先生にかわいがられ、鍛えられたことは、後年私の頑強な体質の源を作ったものとして、感謝に耐えない。五年生のころだと記憶しているが、十人お突きの試合で勝ち抜いて一等賞となり、漆塗りの弁当箱をもらった時のうれしさ! さらに親せきの松井の叔父さんに赤漆塗りの御胴をもらって、とても大きな励みとなったものだ。勉強という勉強はせず、小学校でもいたずらがすぎて廊下に立たされたこともしばしばだったが、遅刻、欠席はしたことはなく、六年間皆勤、優等賞をもらった。

このように奔放な少年時代にも、「たとえ三つ児の言うことでも道理には従え」と言われた父の教訓は、終生私の耳にこびりつき、忘れることのない言葉となっている。