益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

満82歳
終わりなき画業楽し(2)

現在私は八十二歳。画業総決算の意を超えて、浅学菲(ひ)才の身を恥じながら、私はまだ現場の画家として生きている。思うに、財もなく、地位もなく、平凡な庶民の子として育ち、大した才能に恵まれたわけでもない人間が、若き日の労苦があったとは言え、ここまでの充実した晩年を過ごし得ようとは、まことに恵まれたわが生涯だったと感謝に堪えない。その要因は良き師、良き友に恵まれた幸運と、苦を苦とせず、寸暇を惜しみ精進を怠らなかったわが努力と、家族の理解と協力、とりわけわが一家がきわめて健康で、私はもちろん、四人の子供たちも一度も病気らしい病気をしたことなく、心身共に健やかに成人したというにあるだろう。また、私の画業が単なる画業に終わらず、平和と民主主義を愛する多くの人々との交友のクサリとなり、人間・小松益喜の生きざまに多くの示唆・援助を与えられたことも、見逃がすことのできない力である。よき知友が多いということは、まことにありがたいことだ。

一九八七年を迎えて、黒髪を誇っていた頭髪もさすがに薄くなり、体力もかなり衰えては来たが、未だ為(な)すべきことの多くを持ち、現場へ描きに行く意欲は旺(おう)盛だ。足腰の立つうちに最後のリベットを打ち込もう。さあ! 明日から仕事はじめだ。

今日の夕方、絵の具箱とイーゼル、腰掛けを、現場の知人の家に預けて来よう。明日は一番電車で六十号カンバスを預けて来よう。夜明けを待って、いよいよ大作を制作しはじめるのだ。初心にかえれと言われるように、制作に対して心が躍る。これはきっと詩情のある絵が出来ること間違いなしだ。さあ描くぞ! 喜び感動し楽しんで描きはじめるぞ!

夜が明けた。一番電車に絵の荷持ち賃二百五十円を払って乗る。乗客はぱらぱらだから等身大の大作カンバスを持って乗っても安心だ。三宮で降りてテクテク山手へ歩いて運ぶ。まだ暗い。道端の仕事をする場所の横に荷物を置いているルンペンにも会った。朝帰りの苦い男女二人連れにも会った。三宮から北野町まで枠張りカンバスの重さに異様感が生まれる。山本通りを越えて北野町の画道具を預けてある所まで行くのに三回休んだ。何かの怪談で読んだ荷物の重くなる話のように、次第にカンバスが重くなるムードにつつまれて、やっと北野町へたどりついた。明け初めた早朝の寒気はきびしい。写生場所の門が開かれるまで二時間はある。道具置きの家にカンバスを預け、一たん家に帰り、この自叙伝の最終を書くことにする。

かくして、新しい仕事初めに向かい、この絵心の高揚を書き留めることを以って擱(かく)筆する。

(おわり)