益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「彼はボクの親友なんだ」

……(小磯は)「南京陥落」「娘子関」「ビルマ独立式典」などを軍の要望たよって描いた。この要望に応じた弱さは、今日でこそ批判しやすいことだが、しかし、当時の空気ではよほどの勇気がない限り拒絶できないものがあった。現に或る時期、小磯のアトリエにしきりに出入りするもの[引用者註=とくに「小松益喜さん」のことの胡散(うさん)くさいところから、特高の張り込みがつづけられたりしたことからでも知れる。…。

しかし、これらの大作の構成力、描写力の抜群なるところ、…(それらの作品の)気品を支えているのは、ある種の哀愁である。この哀愁の底には、少年時代から生母、長じては養母がそそがれた、キリスト教思想が染みこんでいて、その人間愛がもたらす哀愁と言えそうである。残酷な格闘や屍体を避けてあるのも、小磯の自然な自分自身の発露といってよかろう。…。

小松益喜さんは、昭和六十一年(一九八六)年十月七日から神戸新聞に週一回連載された、『わが心の自叙伝』で、小磯さんとの出会いをこう記しておられる。

……山本通一丁目に、小磯良平氏の大きな邸宅があった。邸内に独立した立派なアトリエがあり、氏は美校出の先輩ではあり、アトリエは私の写生地域の中心にあったので、いつの間にか氏のアトリエに出入りして、随分いろいろとお世話になったものだ。何かにつけて教えられること多く、あるとき氏に「先生になって下さい」と言ったら「友達でいいんだよ」と言われ、ありがたかった。…。

【『わが心の自叙伝』<7>から】