益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

第4回 その絵画の根底に流れ出るもの(上)

「『お礼の絵』は『作品』ではない」

昭和20年代の終わり頃(1953〜4)、私はH社会教育主事の下働きで、講師の小磯良平さんや吉原治良さんのお供をして、県下各地の美術講演会へ出掛けることがしばしばあった。 そのある地方での、出来ごとである。

とある宿で、当時としては例のごとく、土地の名士招待の宴席がもたれたときのこと、だれだったかその地方の素封家と言う方が、「昔、小磯先生にウチで泊まってもろうたとき、描いてもろたんが、コレですわ」と、自慢げに一枚の色紙を持ち出した。

吉原さんなどはおもしろがって、「どれどれ」と身を乗り出されたのだが、小磯さんの方は、その絵を皆の目に触れないよう手元に隠すと、真っ赤に恥じ入っておられて、どうか、この絵をみなさんにお見せになることだけは、ご勘弁を。…。今度この地にうかがいますとき、もっと立派なモノを持参いたしますから、私にこの絵を預からせてください。お願いします。

小磯さん自身がおっしゃるのだから、当の土地の素封家も仕方なしに、その色紙をご本人に預けてしまったのだが、その絵の代作は、はたして出来上がったのだろうか。後に、H社会教育主事を通じてうかがったところ、小磯さんの答えはこうであった。