益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「強情っぱり」「名画は頑固の産物」

桝井さんから小松さんの「傍若無人」話をうかがった、同じ昭和六十二(一九八七)年の秋、兵庫近美で『田中忠雄展』が開催された。このとき、当の田中忠雄(行動美術協会)さんは、その展覧会の期間中のほとんどを、神戸YMCAのユースホステルに泊込みで、懐かしの阪神間を清遊される。その間に田中さんは、しばしば館へもお越しになり、実に楽しく神戸時代の思い出話をしてくださったが、その中に小磯いや正確には養子入り前の岸上(きしのうえ)少年との出会いの頃のエピソードがある。

というのも、田中さんこそは、平野尋常小学校と神戸第二中学校(現兵庫高等学校)ともに小磯さんとは同窓で、小磯さんをして、「もしも田中君に出会わなかったとしたら、ボクは絵描きになっていなかったかも知れない。」と言わしめた、彼の人に最初の絵画手ほどきをした人だからである。

ボクは、小学校五年生のとき、北海道から神戸にやって来て[キリスト教会牧師であった父君の転勤による]、最初の湊山小学校では友達が出来なかったんだが、ボクらの何年か前から四年制尋常科が六年制になってね、児童の数が増えて校区が分割され新設された平野小学校へ移ったらさ、同じ梅元町から通学する小磯(当時=岸上)君が同じクラスにいたってわけ。すぐ仲良しになってねぇ。…。

ボクは、北海道にいた時分から絵を習ってたんでね、さっそくその大正四(一九一五)年の秋から小磯君を誘って、二人で奥平野の裏山へ、よく写生に出かけたもんさ。…。