益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

第1回二人の出会いなど

序文

小磯良平さんと小松益喜さん、二人の画家のことを書き残しておきたいと思う。

「昭和を代表する神戸ゆかりの洋画家は?」との問いに、この二人の画家の名を挙げる人は数多い。小磯・小松両画伯が神戸に残された絵画の功績については、幾多の人々によってすでに書き尽くされている。

しかし意外なことに、その生(き)のままの人柄については、竹中郁氏の書かれた小磯人物評にその断片らしいものが見られる程度で、一般的には小磯良平=「美術界の貴公子」、小松益喜=「画壇の異端児」というのが、あたかも二人の人物論の「定説」であるかのように、「一人歩き」しているのが現実である。

しかし、私が直(じか)に接して感じ取った、二人の画家の堅い友情が頑強な「反戦平和主義」で貫かれていたことや、小磯さんの予想外に意固地で頑固一徹な性癖や、小松さんの「左翼運動の後遺症」とでも言える言動などが、赤裸々に語られることはこれまでなかった。 ましてその画風の原点というのが、小磯洋風人物画=三田藩積年の「海外雄飛」への憧憬(しょうけい)や、小松異人館画=坂本竜馬に擬せられる土佐藩の「反官尊民」の気風の反映にあることなど、その画風のよってきたる人物形成の史的背景についてはほとんど触れられてはいない。厳密に言うならば、今は亡き増田洋(ひろみ)元兵庫県立近代美術館次長が、小磯・小松画集などでわずかに触れているのみである。