益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

序文

したがってこの歴史的叙述に関しては、増田氏の所論を拡充紹介することをぜひこの際行っておきたい。そのようなことから、この『小磯・小松=人物近現代史』を起こすことを思いたったのである。

私はたまたま、昭和二十年代末(一九五二頃)〜三十年代末(六四頃)の間、兵庫県教育委員会事務局社会教育課視聴覚教育係芸術文化担当となり、昭和五十八〜六十二(一九八三〜八七)年に兵庫県立近代美術館館長補佐を務め終えるまでの間、広範な美術家と交流の機会を得るが、その間、小磯さん小松さんご本人の口から直接、またご両人の近親の方から間接に、二人の画家の「人間」というものを、生々しく聞かせていただいている。

ここに紹介する記録は、美学研究の領域外かも知れないが、近現代人物史に関心を寄せられる方ならば興味をそそられるに相違ない、二人の画家の人間秘話である。そのような思いから、『歴史と神戸』への掲載をお願いしたのである。また、この記事連載を急ぎお願いしたのは、二人の画家にゆかり深い兵庫県立近代美術館が、平成十三(二〇〇一)年秋をもって閉館し、新年度から新たな「芸術の館(仮称)」となることへの、区切りの意味を込めていることも付け加えておきたい。

 なお文中私の職名は、前者を「社教芸文」、後者を「兵庫近美」という風に、略称している。