小磯さんは、「小松君」と、関西弁のノーアクセントで、小松益喜さんをそう呼ばれ、小松さんは、「小磯さん」と、傍線部分に強いアクセントを伴う土佐なまりで、小磯良平さんを敬称つきで呼んでおられたから、先輩後輩関係(歳は一つ上・美校では三年先輩)にあったことは確かであるが、何かしらこの二人には、「特異な友達関係」が存在したような、そのような気がしてならない。
私は、ここに紹介した小磯さんの話から、左翼運動挫折の影を引きずっているかような小松さんに対する、彼の人の深い敬愛の眼差しを感じるのだが、さてどうであろうか。そのことは、この人物史を最後までお読みくだされば、やがて明らかになる。
ここでは、当時自由人を自認自称された竹中郁さんですらが、「胡散くさい人物」と敬遠された小松さんを、小磯さんが「友達」として遇されたところに彼の人の大らかな愛を感ぜざるを得ない、という風にだけ結んでおこう。