益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父、小松益喜を想う

父の人生が今の時代に問いかけるもの (2)

父にたいしても、特高警察は東京でも、高知でも、日本共産党に協力したというだけで、あるいは戦争に反対したというだけで、逮捕・拘束し、リンチ(拷問)を加えた。高知では、まだ脳炎の後遺症が強く残っている人間にたいしてリンチをおこなったのである。

そして治安維持法違反で起訴し、有罪・執行猶予の判決で釈放された後も、長期にわたって警察による“監視”をつづけ、父母が高知から神戸に移り住んだ後も、警察組織を通じて監視行動を続けたのである。神戸に来てからも、他の、弾圧事件の際、無関係のわが家に多数の警官が踏み込み、私物を捜査し、日記を読んでニヤニヤしたり、ドサクサにまぎれて私物を持ち去ることさえした。高知で益喜と一緒に活動し捕えられた詩人・槙村浩は、強いPTSDの情況で、出獄後数年で落命したのである。

その後、父は健康を取り戻して、画家としての制作活動を意欲的・精力的におこなうのであるが、警察権力によって痛めつけられた苦痛による後遺症は残った。戦後10数年たって、パリに渡航した際、「警察に監視されている」というようなことを書き送ってきたり、家族あての手紙も二重封筒で友人を介して送ってきたりしたことで、登喜が心配したこともあった。

「戦争反対」「主権在民」は、戦後、憲法にも明記され、当たり前のことになったが、戦前、それを求めた人間にたいし、残酷な迫害を加えたものへの怒りは、一人の家族としても消えるものではない。また社会としても、その反省のうえに「公権力による国民への人権侵害を許さない」という立場にたった今の憲法が作られたと認識している。父が戦争反対と主権在民を戦前に主張したことは、私にとって誇りである。

一部の人が、1970年代に“戦前の反戦運動は戦争を食い止められなかったから敗北であり挫折である”などと主張したが、特高警察と同じ立場にたつこの種の論難こそ厳しく非難されなければならないものと思っている。

侵略戦争をおこない、数千万の人命と財産を破壊し、その何倍もの人々に塗炭の苦しみを押し付けた――この誤りを反省し、二度と繰りかえさない立場たってこそ、平和を求める言葉に真実性を与えるのである。同じように、戦前、自由と民主主義を主張し行動した人々を迫害した政治の責任を厳しく問う立場が前提となってこそ、今日、自由と民主主義を口にするものに、歴史的根拠をあたえるのではないだろうか。父の人生が残したものの中には、画家としての足跡とともに、今日の時代での生き様を私たちに問いかけているものがあると思える。

2005年2月 小松伸哉
生命活動が燃え尽きるまで
人を分けへだてしない
よいものは良い、悪いものは悪い
父の“ 記憶力 ”
絵の“品”と教養
異人館の美しさ
日本脳炎とPTSD
父の人生が今の時代にといかけるもの
やはり、人としての道を
父への助言者
登喜の意欲を引き出したもの
一途の人