小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「そのロマンの根源は坂本竜馬…」

少年時代の小松さんは、「町内きっての・わりことし・(いたずら小僧)」であった。反対に、竜馬の少年時代は「坂本の泣き虫」と呼ばれたらしい。その後ともに、剣の道をめざし、小松さんは「後年私の頑強な体質の源を作ったものとして」、少年時代の剣道修業に感謝しておられる。高知工業学校時代には、京都の「全国青年演武大会」に出場しておられるから、かなりの腕前でいらっしゃったのであろう。一方の竜馬は、江戸へ出て、北辰一刀流免許皆伝の腕前になり、心身ともに剛健の士となって土佐へ帰る。そしてやがて、脱藩すると草莽(そうもう)の志士となって、国事に奔走するのである。

小松益害さんもまた、「侵略戦争」へと右傾化していく国情を憂え、東京美術学校入学直後から彼の人の国事=左翼運動に没入していく。

世は昭和の時代となり、山東出兵、共産党弾圧事件等、騒然となる。昭和4年、私は先輩大月源二君に勧められて、日本プロレタリア美術家同盟に参加する。「フォイエルバッハ論」や「国家と革命」など、伏せ字の多い本をむさぼるように読み、急速にマルクス主義に傾倒していった。新しい時代を夢み、芸術と社会変革の統一を考え、わくわくする。…。プロ美術家同盟では、浅野孟府、岡本唐貴、内田巌、大月源二らの先輩をはじめ、須山計一、松山文雄、中島正雄ら、画家の外にも島崎翁助、久板栄二郎ら、情熱に燃えた多くの 友人を得、得難い青春の一時期であった。…。

【わが心の自叙伝(3)から】