小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「そのロマンの根源は坂本竜馬…」

…。やがて絵筆を折って、「赤旗」印刷の仕事に参加することになる。それは党の秘密を守りつつ迅速に、正確に、党の方針を大衆の手に渡す、新聞の発行という命がけの仕事だった。私の仕事は挿し絵を描くという、私にとって一番可能なことであったが、その任務の重さは全員が等しく負わされるものである。…。

【わが心の自叙伝(4)から】

こうして小松益喜さんの、竜馬顔負けの、「国事奔走」の日々が続くのである。

『小松益喜画集―神戸の異人館―』所載の年譜によれば、昭和5(1930)年東京美術学校卒業前後に、「この頃プロレタリア美術運動〜左翼運動に参加し、一時期画生活空白」とあり、この翌年頃から「赤旗」地下印刷所の仕事に挺身されたらしい。過労による疾病のため郷里高知へ帰られる頃のことを、「満州事変が始まろうとする騒然たる世の中」と記しておられるから、察するところ、昭和6(1931)年1月岩田義道氏らによって再建された日本共産党指導部による復刊「赤旗」の同年9月頃までの、多色謄写版刷り紙面イラストが小松さんの手になるものである。このとき小松さんがデザインされた紙面は、一部がいまも東京代々木の日本共産党本部に保存されているらしく、 昭和52(1977)年「日本共産党創立五十周年記念赤旗まつり」で展示公開されたのを拝見した覚えがある。