小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「そのロマンの根源は坂本竜馬…」

小磯絵画の源流を尋ねると、三田藩九鬼家に行き着く。とするならば、小松絵画に込められたものを『堂々男子剛健の詩(うた)』(『小松益喜素描集−戦前の神戸異人館―』昭和54年・神戸新聞出版センター刊)と題する、元兵庫近美次長=増田洋(ひろみ)さんは、 そのロマンの依って来たるところは、太平洋に向かって広くひらかれた大地のあるところ高知で、幼少の時期を過ごされたことにあるのだろうか。…。
とする。そして、小松絵画の根源を土佐の風雲児=坂本竜馬になぞらえるのである。
小磯良平さんが元武家の出自であるが故に、美術界をリードする「公人」としての立ち居振る舞いを示されたのに対して、小松益喜さんは出自が造り酒屋であることも同じ坂本竜馬そのままに、画壇の指導者というよりも在野の人=「野人」そのものであった。
ということから以下の話は、主眼は前掲神戸新聞所載『わが心の自叙伝=小松益喜』に置きながら、副眼は私が竜馬にとりつかれた最初の入門書=池田諭『坂本竜馬―平和と統一の先駆者−』(昭和41年・大和書房刊)を追いながらの、展開となっていく。
まず、小松さんの生家が酒造業者なら、竜馬の生家も郷士とはいえ、正確に言えば郷士株を買い取った酒造業者兼質屋である。ともに幕末、貨幣経済がその支配を強めるなか、資本主義産業の原初的形態である家内手工業(マニュファクチュアー)を営むことで、 世の中に一歩先んじる風をもつ家に生まれ育ったということが、その第一の共通点である。