小松益喜を語る

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「小磯洋風絵画」を育んだ三田藩の血

陣屋にも堀を回らすことは許されるが、大概は、たかだか四五間幅のものでしかない。大河のデルタ地帯でなら、池を自然の堀に見立てる城も中にはある。しかし、わざわざ山間の陣屋に、藩士たちが巨大な人工池を苦労をいとわず造成したのは三田だけで、その執念たるや尋常の沙汰とは思えない。

兵庫県立歴史博物館主任学芸員(城郭研究)=堀田浩之さんによれば、こうである。

三田藩士たちは、この地に移封されてから幕末に至るまでの二百数十年間というもの、片時も「志摩水軍」たる誇りを忘れなかったのです。その誇りのより所として、こんな巨大な池を、わざわざ苦労して造ったのだとしか思われません。 彼らはこの池に軍船を浮かべ、来る日も来る日も、水戦訓練に余念がなかったと、記録に残されています。その水戦訓練は親から子、子から孫へと受け継がれ、明治維新にまで続くのです。

陣屋をとり巻くこのすさまじい情念、ほとんどそれが不可能に近い、絶望的な状況のなかで、いつの日か来るであろう「海外雄飛」の一縷(る)の夢、その万に一つの可能性にかけたその情念のほどが、この池の周辺に満ちあふれています。

展示の『三田藩陣屋絵図』から、そんな想像をめぐらせてみるのも、おもしろいのではありませんか。

【平成4(1993)年10月・兵庫県立歴史博物館『城郭物語』展での展示解説から】