益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「五〇人展落選事件」に関わって

結局、次のような小磯さんの、つぶやきのような一言が決め手となって、小松さんの落選が決定する。

近頃の彼は、そう金に因ってる風でもないのに、「作品」でなしに「売り絵」をねぇ、20号かせいぜい30号ぐらいの、すぐ売り物になるような手軽く描いた小品を、それも新制作展に出してくるんだよなぁ。…。以前は、50号60号の対の大作を、「どうだ」といって持ち込んできた、あの小松君がだねぇ。…。

小磯さんは、人間としての小松さんと接しられる場合は、先にも記したような「敬愛の眼差し」を注がれるのだが、画家としての小松さんに対しては、ときに冷厳なまでもの、「審美の眼力」を透徹される。画壇のリーダーとしては当然のこととしても、プロの画家に対する彼の人の峻厳なまでの批判には、ときにドキッとさせられることがあった。

ただし、この時の小磯さんの「近頃の小松評」には、私もピーンと来るものがあったので、まったく同感であった。

というのは、「最近ボクの絵に買い手が付かんで弱るよ」という言葉を、しばしば小松さんから、耳にしていたからである。この時期、わが国の造船界は構造的な不況に突入し、以後今日に至るまで不況脱出をはかれないでいるのだが、そうした理由からか、小松さんの絵のお得意先であったK重工造船所の美術品購入がピタリ止まってしまった。こういう時期と、小松さんが愚痴り始められる時期とが、ちょうど符合する。極貧のどん底生活を体験された人だからであろうか、少しでも絵が売れない気配を感じられると、なんとしてでもと「売り絵」に執着される風が、この頃の小松さんには、たしかにあった。