益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

閑話休題。…。

この日はその絵の話はこれきりで、二人はしばらく歓談して別れたのだとおっしゃる。

その年の暮れに、太平洋戦争が始まって、それからの二人は国家非常時のため、それぞれ従軍画家や従軍作家としての多忙な明け暮れの後、敗戦を迎えられる。しかしこの間、昭和20(1945)年6月5日の神戸大空襲で、小磯邸もアトリエも、土蔵一棟だけを残して灰塵に帰してしまうのである。

焼け出された小磯さんは、素描や版画、水彩画や画集類を疎開させておられた、裏六甲の下谷上(しもたにかみ)へ身を寄せられ、 戦後の昭和21〜3(1946〜8)年は、塩屋滝ノ茶屋や魚崎横屋などを転々とされて、ようやく昭和24(1949)年、戦後の名作を生む住吉のアトリエに落ち着かれるのである。

その翌年には、西宮北口の野球場を中心に開催されたアメリカ博覧会を記念して、グランド・バレエ『アメリカ』が、主催の朝日新聞社ゆかりの大阪朝日会館大ホール、私たちの年代には懐かしい今はない「真っ黒の会館」ホールで上演されるが、脚本=竹中郁・美術=小磯良平他と、戦後初の二人の親友による共同の仕事が実現をみる。