前の年の暮れに、そのバレエの準備の打ち合せがあって、久しぶりに竹中君と出会ってね、ボクは、あの「顔なしデッサン」を、ふいと思い出したんだねぇ。さっそくその翌(1951)年の正月だかに、戦中戦後の10年、お互いよくぞ乗り越えてきた、そんな喜びを込めて、あのデッサンに「顔」を書き加えたってわけだ。
その話を聞かれながら、「うんうん、実に、いい話だねぇ」という、金井館長の笑顔の相づちが、今も私の脳裏をよぎる。
小磯さんがお帰りになった後、増田館次長にこの「秘話」を耳打ちしかけたら、彼は、生前の竹中さんからこの話をうかがって先刻承知とのこと、がっかりしたことを覚えている。だが同時に増田さんからは、以下のような竹中さんの言葉も、伝え聞く幸運を得た。
あの絵の年号まで、書体を変えたりな。…。
キミ、戦前の背広の大胆なタッチと、戦後のオレの顔の実に丁寧な繊細なタッチとを、見比べてみたか。…。
一枚のデッサンにも、心憎いほどの思いやりを込める男。
それが、小磯良平なんだ。