益喜を語る

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「傍若無人…娘子関の戦いの跡」

その桝井さんが、私の兵庫近美在職中に開かれた『小磯良平展』の美術講演会の講師でいらしたときだから、昭和六十二(一九八七)年一月末頃であったろうか。以下は、その講演会開会前に、館の応接室でうかがった話である。

あれは、『娘子関を征く』が完成した後のことやったですか。兵隊のモデルを務めた小松さんや、モデルの馬を貸してくれた馬主さんや…。そうそう、あの絵の軍馬は、戦地で描かれたもんではのうて、小磯さんが山本通のアトリエに馬を持ち込んで、何枚も何枚もデッサンを重ねて苦労して作り上げたもんですわ。

まあそんなことで、その馬主さん夫婦や、当時小磯アトリエに出入りしていた貧乏絵描きの一人、中村鐵(当時国画会出展・後画廊店主)さん。それに、やはり売れん絵描きやった松岡寛一(当時二科会出展・後二紀会)さん…。その奥さんの峰子さんがエキゾチックな顔形で、その頃、小磯さん一番のお気に入りのモデルで、あの時分の小磯さんの絵の女性像は、『少女像』でも『母子像』でもみな、彼女ですよ。有名な『斉唱』やなんかもそうやねぇ。その松岡夫妻やら、その人たちに私も加えていただいて、『娘子関を征く』完成祝賀パーティが開かれたんですわ。もちろん、全部小磯さんのおごりでね。…。