小松益喜を語る

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「画家は作品を残す。アトリエは…。」

とくに、本館二階ロビーの天井から吊された、かつて芸大教官時代の教え子=新宮晋(すすむ)さんの館内の微風に揺らめく彫刻を見上げられたときなどは、平衡感覚を失われ私の懐に抱きかかえられるようにしてご覧になったものである。

というようなことから、小磯さんは自らの死期の近いことを悟られたのであろうか、ご自分のアトリエに遺される作品などのことについて思いあぐねておられる様子で、そんな話を金井館長や増田館次長(当時)とされていた。そのお話の合い間のことである。

…。ボクのアトリエのことをとやかく言う人がいるんだが、前からキミ(金井館長)に話しているとおり、武長さんに世話してもらった土地に急いで建てた、あれは戦争直後の急造バラック建築でね、その後いろいろ手は加えてあるが、「文化財」のような価値は何もないし、あれを美術館に残すというのは恥ずかしいねぇ、ボクは。…。

突然、小磯さんは、そうつぶやかれたのである。

どうやら、小磯さんと金井さんとは、ゴルフ遊びなどの際に、アトリエの話もすでになさっている様子がうかがえたのだが、…。

私は突然、30年ばかり前に、「『お礼の絵』は私の『作品』ではない」とうかがった、小磯さんの芸術に対する峻厳なまでのお言葉を、ふたたび耳にしたような気がして、一瞬電撃に打たれたようになってしまった。

「画家は作品を残すのを使命としているので、アトリエまで残すというのは…。」