小松益喜を語る

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廣田生馬 和田青篁 父を想う

「画家は作品を残す。アトリエは…。」

生前から「記念館」建設を臆面おくめんもなく許容される多くの美術家がいらっしゃるなかで、小磯さんはそのような方々の思想とは、まったく相容れないお考えの持ち主だったのである。

それは、そうだなぁ。…。やはり芸術家のキミからは、美術館という所は作品をいただくというのが、本筋かもしれないねぇ。
少し間をおいてから、金井さんが小磯さんの言葉をかみしめるように、つぶやかれたので同席した増田さんも私も合いの手が挟めないまま、この場の話はこれきりで、おしまいとなってしまった。

ところが、やがてその翌年春から、小磯良平さんが病の床に伏せられると、小磯さんの芸大教官時代の教え子という人たちに小松益喜さんまでが加わって、当時の金井館長あて「住吉アトリエ保存」の要請が始まるのである。金井館長はもとより、増田さんも私も、小磯さんのお気持ちをうかがっている手前、その応対には本当に神経をすり減らす思いであった。

そのうちこの要請は、当時の兵庫県知事=貝原俊民さんのもとにも達し、知事の命により、K教育次長が金井館長の真意をうかがうべく来館された。そのときも、たまたま増田さんは不在で、私だけがご両人の対話を傍聴する機会を得るのだが、その際の金井さんの話がまた、まことに妙を得たものであった。