小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「小磯洋風絵画」を育んだ三田藩の血

余談ながら、この保母伝習所のハウさんを、小磯さんは幼き日の回想『神戸と私』で、「美しい異人さん」として、懐かしげに紹介されている。

当時の神戸(引用者注・もちろん新しい「神戸」のこと・古い「兵庫」を含まない)の子供は、異国風と昔ながらの和風のしきたりのまじり合った空気で成長したと思う。それが別にどうということはなかった。 ただ私たちは子供心に、異国の婦人の親切とおせっかいとしつけのうるさいことで、一種のおそれの気持ちをいだいていたようだ。しかし一人だけ美しい異人さんがいた。それは頒栄幼稚園を長らく世話をしていた婦人宣教師で、神戸教会に日曜学校ごとにオルガンを弾きに来ていた人である。

礼拝が始まるのは子供たちの日曜学校よりおそいので、姉の帰りを待つために礼拝のオルガンを聞く機会がたまにあったわけである。それ以外はクリスマスの晩か、花の日か、収穫感謝の日くらいのもの。ここのオルガンはいい音がするので有名であり、ペダルのキーをふめる人がいなかったのではないかと思う。この美しい宣教師(名前をミス・ハウという)がオルガンに腰をおろすと、オルガンの裏側に会堂もりのおじいさんがすわり込んでハンドルをまわして空気を送る。長い間私はこのじいさんが何をしているのか知らなかった。

この教会もオルガンももちろん現在のものではない(引用者注・現教会堂は昭和7(1932)年全面改築されたもの)。現在は電気オルガンを水谷央さん(引用者注・神戸中央合唱団の名指揮者として知られる)がひいている。またミス・ハウは美しいまま年をとって、第二次大戦前に米国に帰って死んだ。異人のおばあさんでこれくらい美しい人は少ないのではないか。映画で時々見るくらいのもので、私がヨーロッパに渡ったときもこんな美しいおばあさんには出会わなかった。

小磯さんの絵に、たまさか登場する「美人のおばあさん」は、はたして、あのミス・ハウをイメージされたものであったか、どうか。 それは、知る由もないのだが、…。