益喜を語る

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「ボクの抽象画に対する審美眼」

井上覚造さんは、ドーミエばりの、いやそれよりもっと乾いた感じの、漆黒の中にシニカルに戯画化された「人物像」を浮かび上がらせるのが得意の、ユニークな絵描きさんであった。しかし、この方も気むづかし屋で、新聞社のTさんなど、「若造のくせにあまりにもなれなれしくし過ぎる」と、この方が住み家とされた宝塚ホテル([現在の同ホテルは大半が改築され往時の建物は北側の一部を残すのみ])の部屋前廊下で、よく怒鳴られていたのを、鮮明に記憶している。

吉原治良さんといえば、当時は世界の「具体」を率いられ、国際的にも著名な、わが国抽象画壇のさっそうたる旗手で、製油会社社長兼務の、これまた風変わりな絵描きさんであった。芦屋の精道町のお屋敷にうかがうと、その玄関応接間の漆黒の座卓上に朱色のベネチアングラスのシンプルな円型灰皿がボンと置かれていて、新聞社のTさんが思わずうなってしまったことを覚えている。「オイ、『具体』の絵そのまんまやんか」 

さて、小磯さんが「抽象画一本」と決められてからは、吉原さんもアッと驚かれるような、ユニークな作品がどんどん選ばれた。 この第一回展で、たしか教育委員会賞を取った儀間比呂志さんの抽象版画や、ボード上にはりつけた石膏がはがれかけて惜しくも賞を逸したが、田所義信さんの白髪作品に少し似た壮絶なアクションペインティングなどは、小磯さんが強く推されたものである。