益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「左翼運動の後遺症」をかかえて

昭和53(1978)年9月の朝日新聞地方版連載の『聞き書きー異人館描き暮らし』 に、小松さんの売れなかった時代の貧乏暮らしが語られている。

最初は若しかったね。五円の家賃が払えず一年たまったですよ。「もう出ていってくれ」「そんなこと言うなよ」というわけで、二年目からは二倍の家賃を払って、どうやら清算はしましたが。…。

ガス代が払えずガスを切られたこともある。塩ひとにぎり、茶をひとにぎりと知り合いからもらい、そして炭をひとにぎり買ってきてメシをたいた。米屋なんかもね、取引というたらなんだが、五、六軒と付き合って、次々とツケで買うわけです。そうしておいて、金が入った時にツケの古いものから順に払う。米屋を回すわけ。…。

そんな時代でも高い画集を買いました。宗達の画集なんか、当時で30余円。ほぼ一カ月分の生活費ですよ。女房のはおりを始め、いろんなものを質入れして買っちゃった。宗達は、そんなに色をたくさん使っているわけじゃないのに、実に豊かです。頭が下がります。宝物ですよ。これは。そのかわり、質入れしたものはみんな流しちゃった。女房はうらみ骨ずいですよ。…。