益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「左翼運動の後遺症」をかかえて

ただし彼女は、私に言わせるならば、パールバックの『大地』と、スタインベックの『怒りの葡萄』と、ゴリキーの『母』と、それぞれに登場するオフクロ像をつき混ぜて一つにしたような、「闘士タイプ」などとはおよそ無縁の、とてつもなく包容力のある慈母観音(彼女は無神論者でいらしたからお叱りこうむるかも知れない)のようでもあり、穏やかな肝っ玉かあさんとでもいうか、そんなお方であった。

まあ、そのような小松さんの奥さんの、オフクロさん的包容力を慕ってであろう、近くの神大や外大の左翼学生たちが集まってきたに相違ない。かくいう私も、昼の学生自治会のS君やY君などに誘われて、いつのほどにかこの小松アトリエに出入りを許される一員になっていたという次第である。したがって私は、画家の小松さんと親しくするより二、三年も前から、この六甲アトリエに出没していたことになる。

その頃、小松アトリエ玄関入口に掛かっていたのが、『朝の大塚画廊』と幼少期の坊っちゃんのデッサンで、アトリエを入って後向くと上に掛かっていたのが、私が「小松さん戦前最後の傑作」と勝手に称している『室生寺護摩堂』であった。
あの、駄々っ子のような小松さんが、トキ夫人にかかると、まるでお釈迦さまの手のひらの上の孫悟空みたいに(失礼)なってしまわれるのが、ほんとにおかしかった。