益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「『お礼の絵』は『作品』ではない」

しかし私は、「お礼の絵」と「作品」、その厳密な区分にあれだけこだわられた小磯さんの言葉を、この耳にしかと留めているだけに、「戦争協力画」の展示と同様、これら「お礼の絵」の公開については、よけいなことかも知れぬが、わが心にひっかかるものをいかんともし難いのである。

その点小松益喜さんは、なんとも大雑把と言おうか、私に言わせれば「馬鹿」が付くほどのお人好しと言おうか(失礼)、とりわけ、いわゆる「民主団体」からのおねだりには実に弱くて、すぐさま快く応じてしまわれた。「友好国代表団のお土産」とか「民主団体のバザーの景品」とかを、いとも簡単に提供されたのである。「どうぞ私の絵がお役に立つのなら」と、それらの団体のいうなれば「お礼の代筆」「売り絵」を、軽々になさったのである。そのような種類の小松さんの絵は、何十点にも達するであろう。「友好国代表団のお土産」の絵などは、今は崩壊してしまった彼の国で、どのような処遇をされているのかも定かでない。

カリ的行為であって、私は断じて許すことができない。こうした「お礼の絵」「売り絵」のばらまきを促す行為が、小松さんの絵の美術市場での評価を、総体として引き下げてしまった罪は、実に大きいと言える。