益喜を語る

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「『お礼の絵』は『作品』ではない」

あの不自由な戦時中のことだからね。ボクは、あの方に一宿一飯のお礼のつもりで、あの絵を描いて差し上げたので、あの方とご家族だけが楽しんでもらえばいいのに…。あんなに、他人様にまで自慢げに吹聴されるのは、迷惑千万だ。

「お礼の絵」は、しょせんはそれだけのモノであって、私の「作品」ではないのだからね。引き揚げてきたんだ。…。二度と、あの方のために、絵を描く気はないがね。


平成11(1999)年3月の、兵庫近美美友会の美術講座に参加された方は、一宮(いちのみや)神社の講堂で、『ムラサキツユクサ』という、小磯良平さんの色紙をご覧になったはずである。そのとき、山森宮司さんから、「隣家の池本福太郎さん方には、めずらしい小磯さんの水墨画の『富士』がありますよ。」という話も、お聞きになったと思う。

これら二点の絵は、平成9(1997)年春、「震災復興二周年・北野〜山本通祭り」開催の際に、地元タウン紙の手によって、初めて一般公開された。小磯さんらしく、「お礼の絵」といえども、実に丁寧な筆致で描かれてはいるのだが、そのとき私は、旧友の山森大雄美さんの耳元に、思わずささやいたものである。

もしも、小磯さんが生きてはったら、これはエライことになったかも知れんで。

もちろん、この一般公開は、著作権継承者のご許可を得て、地元タウン紙が企画開催されたことであって、所蔵者の山森さんや池本さんが進んで吹聴なさったことではない。