益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「左翼運動の後遺症」をかかえて

ワシの体験から、分かるんやが。小松さんも、高知で同じ頃(1932)、一年近くの未決拘留やったやろ。治安維持法で検挙されたら、この「未決」が一番恐ろしいんや。…。

裁判で刑が確定したら刑務所送りやが、そこまで行ったらあの小林多喜二が小説『一九二八年三月一五日』に書いているような、恐ろしい拷問はのうなるんや。その裁判かけるんに、「自白」を取らんならんから、未決拘留の特高警察の拷問は、口で説明出来んくらい物すごいんや。ワシらと違うて、小松さんは、美校出の本物の絵描きさんやろ。たださえ壊れやすいアーチストの精神を、あの誇り高い小松さんの精神をなぁ、…。ボロボロにされたんや、思うでぇ。…。

久留鳥さんは、このくだりになると、次の言葉を失って、絶句してしまわれた。

久留島さんの「小松弁護論」は、そのように私も耳にしているが、小松益喜さんの神戸新聞『わが心の自叙伝』はというと、なかなかに勇ましい。しかし私は、久留島さんの話を通じて、小松さんの武勇伝を読むにつけ、その背後にある、「特高」に追われる恐怖の日々や「未決」での拷問の明け暮れというものに、思いを巡らさざるを得ないのである。