益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「植民地風西洋館のあり方」を知る

その点、小松益喜さんは、素人の私に対してさえも、実に能弁であった。お蔭で私は、小松さんの、みずから目指す画境とでもいうべき言葉を、ふんだんに聞かせていただいている。以下は、いうなれば「小松絵画語録」である。

気韻(きいん)生動、生在るを知る。いい言葉だねえ。こういう心境にまで達した絵を描きたいもんだねぇ。キミ。

空白

鞍上人なく、鞍下馬なし。無心に自在に筆が運んだら言うことなし。いかんのは、「やったろう」いう、スケベエ根性だなぁ。

空白

一枚一枚のレンガ、一枚一枚のヨロイ戸、一枚一枚のカワラに精根込めて、その積み重ねで、出来上がってみたらキミ、その絵から何ともいえん、ポエジー(詩情)が感じられるようになったら、もおサイコーッ。そう思わんかね、キミ。

空白

神戸の風景画家なら、坂が描けんでどうしますか。斜めから坂を描くのは簡単だが、ボクは真正面からでも坂の勾配(こうばい)描いて見せますよ。

空白

ほかの絵描きの風景画、空が抜けてるの、見たことがないですよ。「空は抜けてる」、ワカルカナァ?ワッカラナイダロウネェー!この言葉…。

たいがいの風景画は、みな青空でのうて、ありゃ青壁ですよ。空は、大気によってスカイブルーに見えるが、あの向こうは何百何千億光年?いやそれ以上に広大無辺の、大宇宙まで抜けてなきゃぁならんです。ボク近頃ようやく、その、抜けてる空描くコツ、見付けたですよ。