益喜を語る

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「植民地風西洋館のあり方」を知る

小松君が今回神戸新聞社から神戸風景の画集を出すという事である。小松君が自分のなわばりであるときめているところの植民地風の西洋館が古いものから順に取り壊しになる事で淋しがっている気持ちは私も判らぬでほない。小松君にしてみれば素材であるところの神戸の西洋館である。戦前の数年間彼は私のアトリエのあった山本通りや北野町に残っている洋館を描きはじめたのであった。北野町界隈は一番多くの洋館が残っていたからである。

彼の野外写生のいでたちの特ちょうは、自転車が主体をなしていて五十号位のカンバスを二枚まではりつけられる鉄製の画架が設置されてあった。だからたいへん重いわけである。その上絵具箱がある。絵具箱は自転車が走っている間バウンドするから絵具のチューブが破裂するという欠点があった。いつも彼の自転車が北野町の住まいで待っていることが多かった。私は彼の西洋館がカンバスへのデッサンから完成するまでの途中を一番よく知っているわけである。彼の写生の行動半径は、西は元町一丁目から海岸通り、居留地、中山手から山本通り、北野町にかけて大変ひろく、今日やかましくいわれる植民地風洋館のあり方を一番よく知っているのが小松君という事になる。

小松君も私と同じく年を取ったのでしょう。自転車はつかっていないし、洋館も次々とりこわされて、残りは少なくなっている。それでも昔と同じように現場に画架たてて制作をつづけている。

いやこれは、人物評というよりも、小松絵画の特徴である徹底した現場写生主義というものをユーモラスに描いた、一種の小松絵画評とでも言い得るかも知れない。

私が、美学の専門職でないからであろう。兵庫近美で「付き添い」のような役割を演じた私であるが、小磯良平さんからは、ご自身の絵画論というものを、うかがったことはまったくない。