小松益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

「戦争画はボクの作品とは認められぬ」

なお以下の文章が、小磯さんがご健在の頃、つまり小磯さんのお目に触れるであろうことを承知のうえで書かれたものであることに、ご留意願いたい。

…。長い戦時下、多くの優秀な画家たちは、陸海軍報道部の命令で従軍画家となった。…。小磯良平も計四回戦地へ旅立っている。昭和13年には「兵馬」と「南京中華門の戦闘」、昭和15年には「娘子関を征く」が制作された。「南京中華門の戦闘」には第11回朝日賞が、「娘子関を征く」には第1回帝国美術院賞が贈られた。戦争画といいながら、描かれているのは疲れ果てた兵士、兵士以上にくたびれた軍馬である。戦意昂揚の気分の一かけらもない小磯良平の戦争画は、それでも小磯良平の心に重荷となって残っているようだ。この時期のことについて、小磯良平は沈黙を続けている。当時の心境を物語る作品がある。昭和16(1941)年の第4回新文展に発表した「斉唱」である。

「斉唱」は、小磯良平がイタリア旅行をしたとき、深い感銘を受けたといわれる、ルカ・デラ・ロピアの大理石の祭壇浮彫像「歌う子供たち」「踊る子供たち」を思い浮べながら描かれたという。黒一色の制服の娘たちが、裸足で歌唱練習をしている清楚で飾りけのない有様は、僅かに残された希望のように多くの人々の慰めになった。あの時代にこの絵を描いたのは、戦争画を描いたことへの贖罪であったのかも知れない。…。