小松益喜を語る

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「戦争画はボクの作品とは認められぬ」

増田学芸課長(当時)の指導もあり、あの展覧会の図録の巻末に小磯さんの生涯の作品目録、いわゆる「カタログ・レゾネ」を併載することになって、住吉のアトリエへ何度もうかがって目録原案を精査してもらったんです。でも、小磯さん、あの戦後米軍に接収されて講和発効後に国立東京近美へ返還された一連の「戦争画」については、どんなにお願いしても、断じて掲載を許してくださいませんでした。

後に、増田洋さんにその件について尋ねると、こんな答えが返ってきた。

佐江子さんの仕事を助けるため、ボクからも直接小磯さんにお願いしたんやけど、あの従軍画家時代の「戦争画」の目録掲載に関してだけは、断固拒否の態度を譲られんかったなぁ。「強制的に描かされた『戦争画』は自分の本意を反映していない。作品として認められん」とまで言うてはったけど、ボクには、小磯さんはキリスト教平和主義に撤しておられたから、その反戦の立場を貫けず軍部に妥協して「戦争画」を描かされてしまったことを、終生後悔してはる風に見えたなぁ。

小磯さんの「戦争協力画」とキリスト教平和主義については、冒頭紹介した竹中郁『小磯良平=人と作品』に詳しいが、増田洋さんは当時の小磯さんの心境を代弁するかのように、こうも論評している。昭和62(1989)年『小磯良平展』図録「小磯良平略伝」からの引用である。