益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

対談余話 風神雷神のように

その昔、旭で一番のわりことし。私は、りこもんよりわりことしが好きだ。益喜画伯を天衣無縫とか、奔馬空を行くとか、そんな古くさい言葉では表現しようもない。風神雷神と言うと、どうだろうか。

「北野へ行きましょう」と言うなり、ハンチングを引っ披り、坂道をかけ下り、私と同行の堀内記者を風神のようにかっさらって行った早業。北野から三宮へ向かって、「うまいインド料理を食おう」とビルの地下へ駈け込む。インド人のマスターと大きな声で話す、笑う。骨のついた牛の肉を食べる時のランランたる目の光り。

満腹して三宮駅前の大通りを渡り始めると、とたんに信号が赤になった。坂の上から下から押し寄せる車の波。その中を「そりゃ、走れ!」「とまるな!」と雷が落ちるような声で叫びながら、小松さんはもの凄い勢いで突っ走る。息を切らしてやっと渡り終わった私に、歩道に立った小松さんは大きな声で言うのだ。「ああいう時は、絶対にとまったらいかん。まっしぐらに走らんといかん」

これがもうすぐ80歳になるという人であろうか。風神雷神と言うゆえんである。

小松さんのアトリエに入るなり、室生寺の五重の塔の雪景が目に入った。ふと本棚を見ると岩波版『日本古典文学全集』の万葉集四冊が並んでいた。「神戸異人館の画家」というイメージとは違う、もうひとりの画家の顔を見た感じがした。その疑問は間もなく、小松さんの語る「室生回想」で解けた。

私は小松さんの朗々たる万葉集の詠唱に驚いた。腹の底から、よく透る力強い声が流れ出してくるのだ。万葉学者犬養孝さんの独得の朗誦も面白いが、小松流はそれとも違う。もっと素朴で、万葉びとに近いかもしれない。是非、採譜して多くの人に聞かせたい。

歌といえば夫人のときさんからいただいた歌集『幾山河』にも心を打たれた。この歌集については、かつての同志信清悠久さんが高知新聞に書いた文章を読んで知っていた。その歌集の中の「浪音抄」から引いてみる。赤岡警察署の留置場で詠んだ歌である。

相見ざることの久しも 留置場に夫を恋いつつ浪の音きく


夫の画の入選せりとたよりきくうれしき日なり 大高く澄む


かにかくに世に隔てられ住みつる日二百十日を超えにけるかも

このようにして妻は赤岡に、夫は土佐山田か、あるいは須崎だったか、ともに留置場生活を送っていたのである。

また、「父」と題する、こういう歌もあった。

若き日の父が住みしという家を 探し歩きぬ高知上町(かんまち)


たずぬる町に植木枝盛の家ありぬ 同じ時代に父も生きていし

益善画伯は兵庫県と神戸市の文化賞を受け、とき夫人は兵庫県婦人協議会名誉会長である。夫妻の歩んだ道は次のとき夫人の歌に象徴されている。

それぞれの道ひたすらに生きて来し老二人つれ登る天滝への坂


(山田)