廣田生馬・終わりに

益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

終わりに

小松益喜は飽くことなく、神戸の街を描き続けた。丹念に描かれた作品の数々からは、古き良き神戸の面影を偲ばせる詩情がほのかに漂ってくる。だが同時に、これまで幾度もの試練を乗り越えてきたこの街の、生命力やあたたかみも、描かれた風景の中に宿っている。 増田洋氏もこの点について、「それ(小松の制作)は生命を現すことであり、生きる歓びを現すことに他ならない」と指摘しているが、言うまでもなく、街の生命の源は、そこに生きる人々の歓びである。

モティーフとなった家々の住人達と親しく交わった小松益喜は、異人館をはじめとする神戸の建築物を、決して観賞用のオブジェとして描写してはいない。情趣をもって描かれているのは、生ける街の日常空間、生ける人々の生活空間である。

小松益喜の手によって描かれた街並の中には、人物らしい人物はほとんど見あたらない。だが、それにもかかわらず、生命のあたたかみとも言える心地よい温もりの漂いが、確かに無人の画面から感じられる。

それは、人や街を誰よりも深く愛する小松益喜が、生きている街の生命の鼓動や、そこで生活する人々の哀歓をも、街景とともにキャンバスに塗り込めたからに他ならないと思われる。

小松益喜によって描かれた神戸の街は、作品の中で静かに息づいている。(文中一部敬称略)


(付記) 本稿作成および寄贈資料の調査にあたり、小松益喜氏ならびに御家族の皆様に、寛大な御配慮をたまわりました。記して感謝いたします。
(神戸市立小磯記念美術館学芸員)