廣田生馬・震災と作品の寄贈

益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

震災と作品の寄贈

1995(平成7)年1月17日、街が眠りから覚めつつある午前5時46分、兵庫県南部を震源とする都市直下型大地震が、神戸、淡路、阪神間などを突如襲った。震度7の激しい揺れに、神戸の街はわずか10数秒で壊滅状態に陥った。

小松益喜は、震災時東京に滞在中で無事であったが、長年の画業を見守ってきた小松アトリエは、激震地・神戸市灘区で半壊した。アトリエは、柱や壁などに被害を受け、中の作品も、建材やモティーフとして使われた瓶などが落下し、かなり破損してしまった。

国立近代美術館スタッフを代表とする文化財レスキュー隊のアドバイスも受け、アトリエ内にある作品の整理が、関係者の手で慎重に始められた。その後、作家御本人ならびに御家族より、壊れたアトリエにあった作品約400点の、神戸市への寄贈という、申し出を賜ったことは、冒頭で述べさせていただいたとおりである。

アトリエから搬出された小松作品は、空調やセキュリティが整備された神戸市の文化施設の収蔵庫に移され、学芸員らの手により、採寸、記録撮影、技法・材質確認、題目・年代特定等の、データ整理作業が進められた。

神戸市への受贈式は、1996(平成8)年3月13日に行われた。神戸市に寄贈された作品は、油彩126点、書1点、素描274点(資料1点を含む)、計401点におよぶ。また1997(平成9)年5月に、油彩1点(出品番号63)の追加寄贈を賜ったことも、付け加えておきたい

作家御自身は高齢であるため、受贈式そのものには、残念ながら出席していただけなかった。しかし、神戸市への自作の寄贈について、大変心のこもったメッセージを寄せられている。

神戸の街を深く想う作家御本人の率直な気持ちを、神戸を愛する方々や、小松作品愛好家の方々にお伝えする為に、全文をここで紹介させていただきたい。


「神戸市への寄贈にあたって

1934年以来、60有余年、神戸をわが故郷として、神戸とともに生き、心身ともに、神戸をわが住みかとして、画業に精進してきました。この間、多くのみなさまの励ましをえて、異人館をはじめ多くの画作品を制作したことは、画家としてまことに幸せだったと思っています。

震災のため、神戸の痛ましい破壊のあとを見ながら、心ならずも神戸を離れることになり、神戸復興の力になりえぬことを残念に思ってきました。

この度、わが身の分身とも言うべき制作画を神戸市に寄贈することによって、震災復興にとりくむみなさんとの心の絆を強め、わが愛する街・神戸の文化振興にも寄与することができるものと思い至りました。

神戸市がこの意を受け入れ、深い思慮のもとに、作品を保全し、また展示するなどににより、私の意が生かされるようになったことを喜び、小松益喜作品寄贈の言葉といたします。(神戸に行くことがむつかしい高齢の身でありますので、私の気持ちをお伝えしたいと思います。)

平成8年3月 小松益喜  」