5.居留地と西町風景(焼失)
この町はメリケン波止場を出たすぐ上で、私の好きな町の一つである。
左側の三階建、二階建、二階建の三軒見えている街並の一番奥の二階建の壁看板の家は、私が最とも好んで描いた家である。私はここで八年間、午前中はこの町で過ごしたのである。
一番手前の三階建の家には、しゃれたうす黄緑の鎧窓が残っていて、とても楽しい街だった。それなのに、なぜかこの三階建の油絵は残っていない。
当時は、海外から帰って来た旅行者の一団が、税関で荷物を検査されてぞろぞろと出て来るが、今のような旅行ブームが起きているわけでもなく、七、八人そこそこの人たちが、行くさきざきでそれぞれ異なった姿で特徴のあるトランクや、今はなくなった信玄袋(底に三、四十センチ角の厚紙を敷いた厚布製の荷物袋、口は紐<ひも>で締めるようになっている)や、重い牛皮のトランクを担げていた。
右手は居留地の一番館である。この建物の煉瓦はイギリス積で、一定の距離に幅十センチか十五センチの花崗岩を挟んだ二階建の建物だった。