1904〜1930 1931〜1935 1936〜1938 1939〜1942 1943〜1950
1951〜1957 1958〜1961 1962〜1967 1968〜1972
1973〜1977 1978〜1983 1984〜1989 1990〜2002
1936(昭和11)年 32歳
3月、父石吉の病気で一時帰省。
5月、神戸鯉川筋画廊で第2回個展。
5月、第10回全関西洋画展で朝日洋画奨励賞受賞。「川口教会」神戸にも後援会発足。
5月末、美校時代の友人楢原健三の招きで、大連への写生旅行(大連、旅順、金州)を描く。
7月、大連・満鉄倶楽部で“小松益喜氏洋画個人展”「白い家」「大連倶楽部」「大連西広場の公園」「金州宇五廊」
7月末帰国。父の看病で再度高知へ。
7月、小磯良平、佐藤敬等「二部会」退会、猪熊弦一郎、脇田和等と「新制作派協会」結成。小松益喜も共鳴、出品。
8月、第23回二科展に「(大連)東公園町風景」入選。
10月、大阪、美術新論社画廊で個展。
11月、第一回新制作派展入選。「古い洋館」「工場」「植民地風景A」 「植民地風景B」
11月、展覧会のため上京中、父死亡。
1937(昭和12)年 33歳 この頃、鯉川筋画廓で毎年個展。
8月、転居。(灘区篠原南町一丁目)
12月、第2回新制作派展入選、入賞。“新作家賞”受賞。「オール・セント・チャーチ」「ダークグリーンの鎧窓の山本通風景」「赤い窓の家」「黄色い塀と緑の門」「オリバー・エバンス商会」神戸海岸通りの元居留地を精力的に描き始める。
1938(昭和13)年 34歳
(大阪)美術新論社画廊で個展「イングリッシュ・ミッション」、「トムソン商会」等小品。
3月、小磯良平、中村鉄と台湾写生旅行。
7月、(神戸大水害)
12月、第3回新制作派展入選。「壁看板の家」「倉庫街」「北野町風景」「イングリッシュミッションスクール」「九十九番館付近」「緑窓の家」
12月、元居留地の英三番館の大作を連作し始める。