脚立にのる

1931(昭和6)年  27歳
日本共産党機関紙「赤旗」に挿絵など。病気になり記憶を失う。高知県に帰り治療、静養。自然の昆虫・草木スケッチをしだし、記憶をとり戻す。


1932(昭和7)年  28歳
4月、上海事変への出兵に反対する運動に参加、検挙。
8月、第19回二科展に「ニコライ堂」入選。


1933(昭和8)年  29歳
1月、長女幹代誕生
4月、判決後野市の実家に戻る。高知の画家たちと洋画研究所を作る。(世話役 上田紫朗、信清誠一、大野竜夫等)。
7月7日〜9日、高知新聞社主催「小松益喜・素描展覧会」“高知百景”他。


1934(昭和9)年  30歳
3月、東京に戻る決心をする。友人が後援会をつくり「画会」を催す。
8月、東京に向かう途中、神戸の街並み、異人館に魅せられ、制作 を始める。神戸に定住。(灘区篠原中町3丁目)美校の先輩、小磯良平に家族ぐるみの親切を受ける。
9月、第21回二科展に「高知カソリック教会」、「礼拝堂」入選。
白い塔のある風景 10月、神戸鯉川筋画廊で個展。
11月、長男新樹誕生。


1935(昭和10)年 31歳
神戸での制作進む。自由な色彩、デフォルメなど試みる。
1月 第22回二科展に「白い塔のある風景」入選。