益喜を語る

伊藤誠 南風対談 わが青春の日々 森田修一
廣田生馬 和田青篁 父を想う

第2の故郷、神戸へ
異人館に魅せられて“途中下車(1)”

それからの毎日、私は神戸山手を歩き、元居留地を歩き、そこにある異人館のある風景にクギづけになってしまった。山本通一丁目から三丁目、北野町二丁目から居留地に、また京町、播磨町、東町、西町、中町、北町、南町、海岸通にかけて数百軒に及ぶ異人館の大群落…それは、かつてユトリロによって開眼され、私の脳裏にやきつけられていた「詩情ある風景」の画材そのものだったのである。街角についていた鉄の街灯の美しさ、軒を並べて建つ異人館のかもし出すエキゾチックな香り、青く塗られた下見板と黄土色のよろい窓、その出窓は右から見るのと左から見るのとで全然感じが違う面白さ、赤いれんがの煙突、下見板のクリーム色に桃色の出窓――等々。私は無我夢中になってこれらの異人館を描き続けたのである。もはや生活のことも家族のことも念頭になく、暑いさ中を一日も休まず、山本通、北野町、あるいは海岸通元居留地へ日参したものだ。

この時の足は全部わが愛用の自転車であった。とは言ってもそれは普通の自転車ではない。自転車の後部にコの字型のカンバス入れを付け、五十号くらいのカンバス二枚をくくりつけられるよう、鉄製の粋がとりつけられて、大変重いものだ。その上に絵の具箱を平らに置かれるよう工夫してあったが、坂道でガタガタ揺れると絵の具箱の中のチューブが破れて絵の具が手につき、服にも付いて大変汚くなった。包帯やセロテープを巻いて破れを防ぐ工夫はしてみたが、なかなかそのようなことでは迫いつかず、絵の具だらけの服を着た小男が毎日カンカン照りの中で絵を描く姿は、よそ目にはさだめし異様なものに映っただろうと思われる。

この自転車はその後異人館写生用だけでなく、天王寺美術館の展覧会行きや遠征写生など、東は大阪から高槻、西は加古川から姫路辺りへ出かけるにも乗り回し、電車賃にも事欠くわが貧しい生活の中の重要な必需品となった。私の代表作「英三番館」の画面の片隅に描かれてあるのがこの自転車である。